STYLEWorks&Alternative

事業コンセプト concept

メディアの価値はA:内容(semantics × syntax)、B:データ形式(data format)、C:様式(container)、D:(ユーザーの)状況または文脈(status or context )の掛け算(乗数)で決まる。例えば、美味しいラーメン屋さんの情報(A)が、文字と写真(B)で、雑誌(C)に掲載されていても、たまたまそのとき満腹(D = 0)だとすると、情報量はほぼゼロ(=無価値)である可能性が高い。一方、気象警報などはA〜Cのデータ量や表現力が貧弱でも、状況(D)が切実であれば情報量(情報学で定義される情報量は私たちの生活感覚とはかなり乖離していることを自覚しておこう)は桁違いなものになるだろう。さほど関心を持っていない国で軍事政権が成立したかどうかよりは今日の天候が気になる自分を責める必要はない。個々の状況こそがメディアの主役なのであって、地上波も大部数を誇る新聞も、私たちにとってはありふれた日用雑貨品の一つに過ぎず、医療・教育・福祉などの切実さとは比較にならない。

議題設定機能が劣化してしまった従来型メディア企業が問題にしているのは、情報を運ぶ手段としての C(様式)が陳腐化していることに対する危機感のようだが、これは現象としては陳腐化というよりは融解である。その大半がインターネットの中に溶け込み、もはや原型をとどめていない。大きな鍋に様々な具(=メディア)が投げ込まれ、グツグツと煮込まれてる状態をイメージすればよい。大半はゴミ(garbage)に過ぎない(注1)のだが、ユーザーは必要なA×Bだけを自分の取り皿としてのスマホに取り込んで利用している。厄介なのはメディアが投げ込まれた鍋=インターネットの本質は、ラフコンセンサス(rough consensus)を信条とするコミュニケーション・プロトコルだ、ということだ。結果として、それがメディアかコミュニケーションかの判別が不能になってしまったので、例えば、あるニュースがフェイク(fake)か否かの議論に血道を上げるのは単なる時間の無駄である。

D(状況)は、国籍・性別・年齢・季節・気候・風土・体調・位置情報・時刻・懐具合・ライフスタイルや信条・働き方・専門性などの多くの要素で決定する。これらは、その都度変化するもの、生涯まとわりつくもの、個人的なもの、ある特定の社会共通のもの、という具合に4象限にマッピングできる。実際はスマホの使い方が観測できれば、かなり高い精度でその人の“状況”が把握できるはずだが、スタイル株式会社は一番最後の専門性(speciality)のみにフォーカスし、ウェブサイトをベースキャンプにしたメディアをプロデュース、あるいは専門家向けのデジタルメディアを開発したい企業の事業開発サポート/編集プロダクションワーク(取材・編集・制作・サイト運用)を実施する。

それを標榜する会社が掃いて捨てるほど存在することは承知しているが、どのメディアであれスタイルプロデュースで提供させていただきたいと考えているのはある種の人工的(artificial )ではない知性(intelligence )である。従来の4大メディアは自らの事業や組織の存続自体が目的化していて、ユーザーの知性をどう育むべきかに腐心する余裕がない。唯一、C(様式)として信用に値するのが書籍だ(電子書籍は近い将来、紙の書籍の内容を検索するためのサブシステムとして機能するはずで、対立軸としての存在ではないことが早晩明らかになるだろう)。したがって、スタイル株式会社がプロデュースするウェブメディアには「この本を読め」というメッセージが付与されていることが多い。蛞蝓(なめくじ)にも角があるように、どんな悪本でも書籍という形式を採用しているだけで、最低限の正義が実現されている、と考えている(同様に、何が良書かも人や状況に依る訳で「不朽の名作」というプロバガンダはあまりあてにならない)。

出自が版元(出版社)だからというわけでも、書店が(スタイル株式会社の)顧客だから、というわけでもない。端末としての完成度が出色なのだ。電源を必要としない、落としても壊れない(水には弱い)、指(finger)を駆使すれば超高速ブラウジングが可能、読み方と時間軸の裁量権が100%ユーザーにある(映像はこれができない)、繰り返し読むたびに都度新しい発見がある、人間の寿命を遥かに超える耐用年数(150年程度:但し紙の種類による)を誇る、他人と気軽に交換ができる、同じものをもう一冊購入しても大した費用ではない、、、このような多機能端末は書籍以外に存在しない。メディアとしての歴史と寿命の長さがこれを裏付けている。つまるところ知性を育むメディアは多品種少量生産に特化した書籍だけなのだ(むしろメディア以外のものにとても重要な要素がたくさんあるが、ここでは割愛する)。文庫本(A6判)などは人類が発明した最大の技術ではないかとすら思っている(なお知性は剥き出しで流通しない。必ずエンタテインメントというオブラートで包む必要があることも付け加えておきたい)。

欧州原子核研究機構 (CERN) が World Wide Web (WWW) を解放した1993年にマーク・アンドリューセン(Marc Andreessen)なる変人によってモザイクというブラウザ(NCSA Mosaic
)が開発され、その翌年からウェブメディアを作り始めた立場であるにも関わらず、つまるところ「まあ、悪いことは言わないから本でも読め」というメッセージが結語になってしまうのは忸怩たる思いがないでもないが、端末としての書籍の堅牢性と、紙物性でしか実現できない身体知に直結した皮膚感覚は(コストとの見合いからしても)代替可能なものが見当たらない。というわけで、平たく言えば「本が読みたくなるウェブメディアを作りたい」というのがスタイルという会社の事業コンセプトらしい、ということにこの文章を書いていて気がついた次第である。

(注1)
ゴミ(garbage)は別名ビッグデータ(big data)と呼ばれることがあるが、このビッグデータの最大の弱点は「発生していない現象は観測できない」ということだ(当たり前である)。市場(market)が「存在しないものの必要性を認識できない」のとよく似ている。仮にDXを「当たり前に存在していたものが消え、予想もしなかった価値が出現すること」だと定義すると、ビッグデータ分析はITの強化学習には欠かせない(閉じた系=スポーツ、為替、流通など、では有効に機能する)が、DXにはほとんど役に立たないということになる。DXに限らず、新規事業開発において必要なのは、1)自分自身がそれを欲しいと思う情熱、2)市場の“声なき声”を察知・推理する力、3)予期せぬ2つのものを結合させてしまうセンス、4)リフレーミング(reframing:バイアスを破壊する行為)、そして5)失敗して当たり前という覚悟、の5つだ(これらに関する詳しい解説はこのサイトで近いうちに公開する予定)。